【原作の感想】スクールカーストを描く。「桐島部活やめるってよ」(朝井リョウ著)
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実はこの作品を読むのは2度目。
スクールカースト関連の本を読んでいてふと思い出しました。
みなさんはスクールカーストをご存知でしょうか?
いわばクラス内の序列です。
今ではwikiにも載っているほど・・
僕としては、これほどくだらないものはないと思っているのですが・・
しかし、これは学校以外にも生じるもの。
必ずしも学校内だけで生じるものではありません。
だからこそ始末が悪い。
さて、そこでこの作品。
登場人物は複数いて、各視点ごとに話は描かれます。
カーストで上位に属する竜汰やバレー部の風助。
一方下位に属する野球部の前田など。
特に前田視点で上位グループを見る光景はとてもリアル。
自分は彼らのようにはなれないと思う前田。
上位と下位で表面上グループはきっちり分かれています。
しかし上位に属する菊池も前田のことを気に掛けたり、
形はどうあれ、お互いを意識することはあるよう。
そこは救いがあるところですね。
続いて、以下では個人的に思う点を書きます。
この作品には陰湿ないじめなどはないのですが、
ときにスクールカーストはネガティブな事態を引き起こします。
その根源ともいえる人間は、
・差別(排除)思考がある人間
だと僕は考えています。
色々な人と話をしていると、組織内でたまに見かけます・・
それも中学、高校ではなく、大学などでも・・
学生時代のこと。
「A達が陰キャラでチームがまとまらない。」と言っている
少しチャラめの後輩Bがいました。
私もAとは面識があったのですが、印象は普通に良い子。
Bはそんな彼を「陰キャラ」と一方的に決め付け、
Aを批判していました。
何様だ!
思わず僕は思いました。
Aは陰キャラって、本当に上から目線だなーと。
(そもそも陰キャラって・・視野が狭いなあと思ったり)
Bのどこにそんなことを言う権利があるんだろうか。
こうしたBのように、差別思考がある人間はたまに見かけます。
彼らの思考は一体どうやって生まれるのだろうか?
彼らの一部を指す言葉として、「キョロ充」という言葉も
当てはまるかもしれません。
つまり一人じゃいられない人間。
グループにいたいがため、グループ外の人間を排除したがる。
そこに行動の理由が1つあるのかもしれません。
僕は以前教育を専攻していたのですが、
この手の問題は今でも気になっています。
カーストで交流の幅が狭まることは、本当にもったいないと思うのです。
「桐島部活やめるってよ」は、たびたびこのことを
思い出させてくれます。
話が逸れて恐縮ですが、そんな作品でした(笑)
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